資料[1]



ラダ・ビノード・パール博士の言葉


パール博士は広島における世界連邦アジア会議で、次のごとく提言している。

『いったいあの場合、アメリカは原子爆弾を投下すべき何の理由があったのであろうか。

日本はすでに降伏すべき用意ができていた。
ヒロシマに原子爆弾が投下される二カ月前から、ソビエトを通じて降伏の交渉を進める
用意をしていたのである。
当時日本は、連合国との戦いにおいて敗北したということは明白にわかっていた。
彼等はそのことを十分知っていたにも関らず、実に悲惨なる破壊力をもつところの原爆を、
あえて投下したのである。

しかもこれは一種の実験としてである。

我々はそこに、いろいろな事情を汲み取ることができないでもない。
しかしながら、これを投下したところの国から、いまだかつて真実味のある懺悔の言葉を
聞いたことがない。
これからの世界の平和を語る上において、そのような冷酷な態度が許されていいものだろうか。

この原爆投下について、これまでアメリカはいろいろと弁明しているが、その説明あるいは
口実はどのようなものであったか。我々はこれを十分考えてみる必要がある。

原爆を投下するということは、男女の別なく、戦闘員と非戦闘員の別なく、無差別に人を殺す
ということである。しかも、もっとも残虐なる形においての大量殺人である。
瞬間的な殺人であるばかりでなく、放射能による後遺症は徐々に人体を蝕み、戦争が終わって
からのちも、多数の市民が次から次へと倒れ、あるいは、悪性な遺伝子に悩まされている。
行きながら地獄の苦痛にあえいでいる善良なる市民が、今日なお巷にあふれているのである。

しかしながら、彼等の原爆投下の説明、あるいは口実は何であるか。
もしもこれを投下しなかったならば、幾千人かの白人の兵隊が犠牲にならなければ
ならなかっただろう・・・
」。これがその説明である。

我々はこの説明を聞いて満足することができるであろうか。

いったい、幾千人の軍人の生命を救う代償として、罪のない老人や子供や婦人を、あるいは
一般の平和的生活を営む市民を、幾万人幾十万人も殺していいというのだろうか。
その家や財産とともに、市街の全部を灰にしてもいいというのだろうか。

このような空々しい説明や口実がなされたということそれ自体、この説明で満足する人々が、
彼等の中に多数いることを証明するものである。

こんな説明で満足しているような人々によって、人道主義だとか、平和だとかいうような
言葉がもてあそばれていることを、我々は深く悲しむものである。

我々はこうした手合いと、二度とふたたび人道や平和について語りたくはない




ラダ・ビノード・パール博士(1886〜1967)
国際法の専門家。
日本敗戦直後に行われた極東国際軍事裁判、通称『東京裁判』において、ただひとり日本人A級戦犯の全てに
無罪判決を出したインド代表判事 。


日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、

卑屈・退廃に流されてゆくのを、

私は見過ごして平然たる訳にはいかない。

彼等の戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。

誤った歴史は書き換えねばならない。


1952年11月6日 広島高裁における歓迎レセプションにて




「戦争のつくりかた」
りぼんぷろじぇくと(マガジンハウス)から抜粋



あなたは 戦争がどういうものか、知っていますか?

おじいさんやおばあさんから、昔の事を聞いた事が
あるかもしれません。

学校の先生が、 戦争の話をしてくれたかもしれません。

話に聞いた事はなくても、テレビで、戦争している国を
見た事なら、あるでしょう。

私達の国は、60年近く前に、「戦争しない」と決めました。

だからあなたは、戦争の為に何かをした事がありません。

でも、 国のしくみやきまりを少しずつ変えていけば、
戦争しないと決めた国も、戦争できる国になります。

そのあいだには、例えば、・・こんな事がおこります。

私達の国を守るだけだった自衛隊が、武器を持って
よその国に出掛けるようになります。

世界の平和を守る為、戦争で困っている人々を
助ける為、と言って。

攻められそうだと思ったら、先にこっちから攻める、
とも言うようになります。

戦争の事は、ほんの何人かの政府の人達で決めて
いい、というきまりを作ります。

ほかの人には、「戦争することにしたよ」 と言います。
時間がなければ、 あとで。

政府が、戦争するとか、戦争するかもしれない、と
決めると、テレビやラジオや新聞は、政府が発表した
とおりの事を言うようになります。

政府に都合の悪いことは言わない、というきまりも
作ります。

みんなで、普段から、戦争のときの為の練習をします。

なんか変だな、 と思っても、「どうして?」 とは聞けません。

聞けるような感じではありません。

学校では、いい国民は何をしなければならないか、を
教わります。

どんな国やどんな人が悪者か、も教わります。

町のあちこちに、 カメラが付けられます。

いい国民ではない人を見つける為に。

私達も、 お互いを見張ります。

いい国民ではない人がまわりにいないか と。

誰かの事を、いい国民ではない人かも、と思ったら、
お巡りさんに知らせます。

お巡りさんは、いい国民ではないかもしれない人を
捕まえます。

戦争が起こったり起こりそうな時は、お店の品物や、
あなたの家や土地を、 軍隊が自由に使える、という
きまりを作ります。

いろんな人が軍隊の仕事を手伝う、 というきまりも。

例えば、飛行機のパイロット、お医者さん、看護師さん、
トラックの運転手さん、ガソリンスタンドの人、建設会社の
人などです。

戦争には、お金がたくさん掛かります。

そこで政府は、税金を増やしたり、私達の暮らしの為に
使うはずのお金を減らしたり、私達からも借りたりして、
お金を集めます。

味方の国が戦争する時には、お金をあげたりもします。

私達の国の「憲法」は、「戦争しない」 と決めています。

「憲法」は、政府がやるべき事と、やってはいけない事を
私達が決めた、国のおおもとのきまりです。

戦争したい人達には、都合の悪いきまりです。

そこで、「私達の国は、戦争に参加できる」と、「憲法」 を
書き換えます。

さあ、 これで、 私達の国は戦争できる国になりました。

政府が 戦争する と決めたら、あなたは、国の為に命を
捨てる事ができます。

政府が、「これは国際貢献だ」と言えば、その為に命を
捨てる事ができます。

戦争で人を殺す事もできます。

お父さんやお母さんや、学校の友達や先生や、近所の
人達が、戦争の為に死んでも、悲しむ事はありません。

政府は褒めてくれます。

国や「国際貢献」の為に、良い事をしたのですから。

人の命が世の中で一番大切だと、今まで教わってきた
のは、間違いになりました。

一番大切なのは、「国」になったのです。

もしあなたが、 「そんなのは嫌だ」と思ったら、お願いが
あります。

ここに書いてある事が一つでも起こっていると気づいたら、
大人達に、「大変だよ、なんとかしようよ」と言ってください。

大人は、「忙しい」とか言って、こういう事に なかなか
気づこうとしませんから。

私達は、未来を作り出す事ができます。

戦争しない方法を選びとる事も。


「奴隷の平和のつくりかた」 極東ディスティニーランド
くひを☆ぷろじぇくと(マガヅンハウス)から抜粋
[これは妄想にもとづく作り話ではありません]



あなたは平和がどういうものか、知っていますか?

おじいさんやおばあさんから、戦争の事を聞いた事があるかも
しれません。

日教組の教師が、戦争の話をしてくれたかもしれません。

話に聞いた事はなくても、8月になれば、TBSやテレビ朝日
で、筑紫哲也や久米宏さんが日本軍の悪行を紹介するのを
聞いた事があるでしょう。

私達の国は、60年近く前、あまりにも勇猛果敢に戦った為、
ビビった連合軍から「戦争しない」という憲法を押しつけられ
ました。
こんな脳天気な国だからあなたは、平和の為に何かをした
事がありません。

そして、浮世離れした理想や、いい人でいたい幼児幻想に
どっぷり浸っていれば、平和でいたいと決めた国も、戦争に
巻き込まれます。

そのあいだには、例えば、こんな事がおこります。
第二次世界大戦前のフランスのように・・・

平和平和と唱える平和好きな人々は、私達の国を守る
自衛隊員のみんなを人殺しといって唾を吐きかけるように
なりました。
自衛隊の子息は革新自治体に住民登録を拒否され、
小学校に通えなくなりました。
そのくせ、チベットが中国に武力で蹂躙されても、平和大好きな
人々は何も言いません。

チベット侵略は中国の平和を守る為、チベットで困っている
人々を助ける為、と言って。

それは違うのではないかいと責められそうになると、中国の
核兵器・軍隊は、いい核兵器・いい軍隊といいます。
当然北朝鮮の核開発にも本気で抗議などしません。

戦争の事は、ほんの何人かの党幹部の人達で決めていい、
という決まりを本当に作った中国や北朝鮮には何も言いません。
平和大好きな人々は民主主義が大好きなのに、選挙をしない
国が大好きです。

例えば第二次世界大戦前のドイツが1935年に再軍備を開始し、
1938年にズデーデンを分捕り、チェコのプラハに進軍。
「戦争することにしたよ」といいました。
平和平和と浮かれていたフランスやイギリスは何も言いません
でした。
チャーチル以外は。
そして1939年にポーランド侵攻で第二次世界大戦が起こり
ました。

平和大好きな人々が好きな国は戦争するしないに関わらず、
テレビやラジオや新聞は、政府が発表したとおりの事しか
報道しません。
平和平和と浮かれる人々は抗議すらしません。

平和大好きな日本のみんなは、中国・北朝鮮・ソ連・韓国
には都合悪い事は言わない、というきまりも作ります。
朝日新聞は社内検閲で中国人犯罪者を外国人犯罪者に
置き換えます。

平和大好きな人々は みんなで、普段から、平和の為の
練習をします。
それは署名活動や千羽鶴を折るといった観念的なものです。
なんか変だな、と思っても、「どうして?」と聞けません。

聞けるような感じじゃありません。糾弾されます。

学校では、平和を愛する為には何をしなければならないか、
を教わります。

旧軍人のおじいさんは殺人者で、中国や朝鮮、東南アジア
の人達に、悪逆非道のかぎりをつくしたと教えられます。
英霊たちが眠る靖国神社は、悪い人達がいるところと
教わります。

クラス名簿には自衛官の子息に赤丸が付けられます。
いい生徒ではない子供を見つける為に。

私達は、自衛官の子供を吊し上げます。平和の為に。
自衛隊は人殺しの職業、なんで君のお父さんは自衛隊を
やめないのか、学級会議で子供が泣くまで議論をします。

誰かがコンバットマガジンや月刊丸を学校に持ち込んだら、
担任教師に密告します。

担任教師は日教組でなくても、ミリタリーマニアの子供たちを、
危険の兆候ととらえて、平和教育を行います。

戦争が起こったり、起こりそうな時は、アメリカの場合は反対を
し、中国・北朝鮮・韓国・ソ連の場合は黙認します。

平和にはお金がたくさん掛かります。

そこで平和大好きな人達は、核兵器を持つ中国に、もっと
ODAをだせとか、テポドン打つぞを脅している北朝鮮に
食料を送ろうとか言います。
国交樹立時に国家賠償を解決した国にさえ賠償しろとか
いいます。

私達の暮らしの為に、使うはずのお金を減らしたり、
私達からも借りたりして、中国や朝鮮に援助金を送ります。

朝鮮総連が不正送金する時は、見逃したりします。

私達の国の「憲法」は、「戦争をしない」と決めつけられて
います。

「憲法」は、戦争したい隣国には、都合のよいきまりです

そこで、「わたしたちの国は、自衛権を放棄したわけではない。」
と主張して出来たのが自衛隊です。

とまぁそんなこんだで戦後半世紀、私達の国はとても平和な
国になりました。

誰かが平和と唱えれば、あなたは戦わずして、命を捨てろと
言い含められます。
誰かを殺すなら、殺された方がマシ、戦争になったら国外に
逃げる、そんなヘタレが多数をしめます。

誰かが、「これは平和の為なんだ。」と言えば、反論は許され
ません。

平和で人を殺すことも出来る事に、誰も気付きません。

お父さんやお母さんや、学校の友達や先生や、近所の人達が、
北朝鮮に拉致されても、悲しむ事はできません。

ヘタレな政府は「拉致は無かったこと」と言い、北朝鮮に太い
パイプを持つ自民党議員Nは、警察の捜査に横やりを入れ
国内で拉致工作に関わった人々を守ります。
北朝鮮や自分の利権の為に、いい事をしたのですから。

人の命は地球より重いと、今まで教わってきたのは間違いに
なりました。

一番大切なのは「奴隷の平和」になったのです。

もしあなたが「そんなのは嫌だ」と思っても、それが今の日本の
現実です。

ここに書いてある事柄の一つ一つにやっぱりおかしいよ、と
気付いたら、大人達に「なんか変だよ、歴史のねつ造は
やめようよ。」「もしハル・ノートを受け入れていたら日本は
どうなったの?」と言ってください。

大人は、「平和が大好き」とか言って、こういう事に気付いて
いても気付かぬ振りをします。
基本的に馬鹿ですから。

そして考えてください。

私達は、未来を作り出す事ができます。
戦争をしない方法は、武器や軍人がいなく
なれば出来るなどという、きれい事ではあり
ません。

そして先の大戦で命を落とした200万もの
おじいさん・おばあさんの犠牲の上に、今、
私達の平和があることを。






デジカメにて僕(LOOT)が撮影しました。

「千人力」の日の丸(複製) 平和祈念展示資料館(新宿住友ビル31階)所有


第二次世界大戦時、出征等に当たって、女性には弾除けの「千人針」が、男性には武運長久
(武人としての命運が長く続くこと)を願う「力」の文字の寄せ書き「千人力」が求められた。




僕(LOOT)はこの「日の丸」を、フォトグラファーのヒゴ・ユーコさんの作品で見た時、物凄く
歪んだマイナスの「力」を感じ、気分が滅入りました。あの当時、日本の権力をもった人達
がもう少し客観的に状況を把握して行動していたら、このみんなの「力」の思いをもっと良い
方向に向け、使い、あんなに大勢の人達が死ななかったのではないのかと思い、落ち込み
ました。

しかし、平和祈念展示資料館に行って、自分の目でこの「日の丸」を見た時、歪んだマイナス
のモノは全く感じられませんでした。逆に戦地に赴く人達を思いやる暖かいモノを感じました。
マイナスの「力」を感じたのは単なる僕の「先入観」でした。

あの当時の日本が死ぬか生きるかの瀬戸際なのに自分の利権の事ばかりを考えていた
上の人達の事までこの「日の丸」に押し付ける事自体、僕の間違いだと気づきました。

あの時代を生きた大勢の日本の人達は、なんとかして日本を、そして家族を、守ろうとして
いたし、戦地に赴く人達が日本を守り、そして無事に戻ってくる事をただ純粋に願っていた
と思います。
今の時代にこの日の丸はとても奇妙で嫌なモノに写るでしょう。しかし、情報が極端に少なく
全てのモノが偏っていたあの苦しい時代を当時の人達は、悩み、考え、模索しながら、一生
懸命生き抜こうとしていた事は事実です。
その日本を家族を守ろうとする「思い」がこの「日の丸」として形になっただけだと思います。
(2004年3月21日 LOOT)



 いしはら   かんじ
石原 莞爾 (1889 - 1949)
日中戦争不拡大を唱えつつ時の権力者に抗しつづけ、
陸軍を追われた奇才。


リヤカーに乗って酒田臨時特設法廷に向かう石原将軍
(昭和22年4月30日撮影)を模写。 [LOOT]

「人間の理性が勝てば、最終戦争は避けられる。」
トーキー「立正安国」で断言(昭和23年11月収録)

『日本は蹂躙されても構わないから、我々は絶対に
戦争放棄に徹して生きていくべきです。
ちょうど聖・日蓮が竜の口に向かって行く、あの態度、
キリストが十字架を負って刑場に行く時の、その態度
を、我々は国家として取らなきゃならない。
ただし、そういう観念的な問題だけでは駄目だ。
私どもは、我々の建設を戦争を必要としない文明に
つくらねば。
それには八千万という人間がこの狭い国に押し込め
られたことが、非常にいいと思っている。
我々八千万は、立派にここで食っていこうじゃないか。
食っていける。
それがためには、在来の西洋文明のような方式では
いけない。
我々には、ちょうどその逆に、都市解体、農工一体、
簡素生活、この方向に行かなきゃならない、と強く
主張しているのであります。
言い換えれば、我々の革命というのは、完全なる我々
の生活態度の革命までいかなければならない、と思う
んです。』

(石原氏の発言要旨)

菅原一虎・武田邦太郎 編著
冬青社「永久平和の使徒 石原莞爾」から抜粋





投稿者ウラジーミルさんの書き込み(2003.4.1)から抜粋


かわぐちかいじ作 漫画『沈黙の艦隊』より。(注・この漫画はフィクションです。)

『戦争はなぜ犯罪ではないのか!?
例外的な国家を除きアメリカを含めあらゆる国家の憲法には、
戦争を肯定する条項が定められている。
かつて、現在では犯罪とされている行為が国家単位で公然と行われていた。
奴隷売買がそうであり、麻薬売買がそうである。
そして、戦争が犯罪ではない現代においては兵器売買が国家産業として
認められているのだ!
麻薬売買そして奴隷売買を、我々は現在は野蛮な営為と認識し断罪している!
そして一方で生命を奪い、破壊をもたらすものである兵器の売買を
我々は合法としている!!
現代を、野蛮な兵器売買の時代として振り返る時が
いつか来るのではないだろうか!』

『戦争とは、人間が命よりも大事なものを奪い合う行為だ。
人間の命よりも大事なものが国家であるというのならば、
私は国家を笑い、戦争を笑う!』



投稿者BOSSさんの書き込み(2003.6.2)から抜粋


孤島で第二次大戦の終幕を知らず平成の世までずっとゲリラ生活してた
盲目の旧日本軍人が書いてた日記の一文より

注・この日記はフィクションの可能性が高い為、「詩」として読むことをお勧めします。

『ある日、私が殺した男の娘が教えてくれた大切な事
父は争いの無い未来の為に戦って殺された
だから私は貴方を生かしたい、貴方が生き続ける限り父の魂も生き続ける
ある日、私が燃やした村の人が教えてくれた大切な事
過去の歴史を憎むので無く、過去の歴史を生かすべし
村長は言った

「貴方が我々を憎み殺したいなら飽きるまで殺せばいい
でも私達は貴方を殺そうとは思わない
貴方を殺せば貴方を想う人に私の子供が殺されるから
未来を生きる子供達の為になら私は死ねる
そしてそれは犠牲ではありません、未来へ繋がる道です」


私は涙が出た、殺さなきゃ殺されるから殺す…そう己へ言い聞かせ殺した
でも私は殺した人達に今生かされいる
私はこの時、人の温かさをそして日本人である前に一人の人なのだと痛感した
肌の色の違いに何の意味があるだろうか?国の違いに何の意味があるだろうか?
西洋人、東洋人、黒人、しかし根は「人間」という一種だ
傷つけられれば同じ痛みを感じ、流す血も同じ赤い血だ
国に境があるが人の心にまで境はいるだろうか?
国がある事で人が争い合うのなら国なんて要らないではないか?
己が誰かより上と思うなら己の心の醜さを恥じよ
己より下と思う誰かによって己が生かされていると悟るべし
国と国を結ぶ地球が丸いように
人と人を結ぶ線は直線でなく円なのだ
いつか心繋がる日が来ると信じて
長年信じ掲げた「愛国心」や「正義」の名の元に
私が燃やした村に、私が殺めた人の墓にいっぱいの花を咲かそう』