あるテレビ番組で言っていた事だが、カロリーの少ない食事を続ける、
又はなんらかの理由で食事が満足にとれず、カロリーが自然に制限されて
いた場合、身体の調子が逆に良くなり寿命も伸びるらしい。これはマウス
を使った実験でも実証していた。[肉体へのストレス]
そしてこれもあるテレビ番組なのだが、人は全くストレス[刺激]のない
状態になると、今度はその状態自体が大きなストレスになるという。又、
ある新聞に載っていた記事だが、阪神大震災で被害にあった人達に、花粉症
の症状が出なくなった人が多いという。これは大震災という大きなストレス
が身体にかかり、花粉症という小さなストレスに身体が構ってられなくなった
のではとの説だった。 [精神へのストレス]
自分勝手な考えかもしれないが、花粉症やアトピーなどのストレスは
人の生活が豊かになり、ストレスがとても少なくなった事を身体が本能的
に感じ取り、身体に適度のストレスを与える為に発病するのではないかと思う。
人は常に色々なストレス[刺激]を本能で求め、自分達が住んでいる社会が平和
で豊かになればなる程、新しいストレス[例えば内戦やエイズなど]を
生み出していくと思う。
人が常に精神的、又は肉体的ストレス[刺激]を求め続けるのであれば、その
人を作り出した地球も同じでは。例えば、ゴミ問題などの自然破壊や環境汚染は、
人が地球の中に有る物[資源]を使って、色々な物を作り色々な物を地球に色々な
形で戻している[捨てている]のではないだろうか。つまり地球は人を使ってリサ
イクルをし、色々な形で自分にストレスを与えているのではないかと思われる。
人の生活、或いは人の為に大切にしようとしている自然はゴミ問題などによって
壊されていく様に見えるが、地球自身が形を変えようとしている[成長している]よう
にも見える。人の為の地球として地球を見るのではなく、地球も人と同じストレスを
感じながら成長するものだと考えた方がより自然な感じがする。
地球という大きな話を、人に戻そう。自分が最近思った事だが、人の長所・短所
とは自分の勝手な狭い価値観や思い込みが決めつけてるだけで、短所だと思っている
部分が実は長所だったり、又その逆で長所だと思っている部分が実は短所だったり
する場合があると思う。
例えば私事をあげれば、自分は人見知りが激しくすぐに友達ができなかった。
どうすればすぐにうちとけ合えるのか、なぜ自分はこんなに協調性がないのかと、
20代前半まで悩んでいた。しかしそれから何年か過ぎ、あらためて過去の1人で
いた自分を客観的に見た場合、その事があったおかげで人とのつながりを大切に
考えるようになったし、1人でじっくり腰を据えて考え、その考えに基づいて1人
で行動に移せるようになっていた。小さい頃から自分にとって短所と思ってずっと
悩んでいた事が、今では自分の人生を方向づける上で、とても大事な自分の長所の
1つになっている。
長所・短所よりもっと大きなレベル、例えば善と悪についても同じで、善と悪
の境界線は時代・人・環境・気分など様々なものによって激しく動き、必ずこれが
正しいとか、これは絶対に悪いという物はこの世の中にないと思う。だから自分の
考えとしては、どんなにこの世の中が良くなってもイジメや戦争はなくならないし、
100%善の人などいないと思う。いたとしてもこの世の中では生きていけないだろう。
そう考えていくと自分はある1つの考えにいきついた。それは
「全ての物はつながっている。そして絶対的な物はこの世の中にはなく、全て曖昧な
ものである。」という事。全ての物は曖昧なのだから、色々な人がいて、色々
な生き方がある。そしてその人達の生き方に良いも悪いもない。
他人の生き方を批判する人がよくいる。たぶんその人は自分自身を客観的に見つめ
直した事がないのだろう。他人にケチをつける前にその人の生き方を通して自分の
生き方を再確認する事が、自分は先だと思うし大切だと思う。
「全ての物はつながり、そして全て曖昧である。」
という考えは、次の考えにもつながっていくと思う。それは
「自分や自分がいる環境を常に客観的な立場で見る、又は見直す」という事。
[大きく広く、色々な角度から物事をとらえる目を養う]
あるテレビ番組で言っていた事だが、例えば右膝が痛い場合、普通人は右膝が
悪いと思ってしまうが、本当に悪いのは左足の方で、その左足を身体全体でカバー
する為に身体のバランスが崩れ、右膝に負担が掛かり痛めてしまうらしい。この例
のように右膝だけを治療しても、原因[左足]を解決しない為、しばらくすると又右膝
が痛み出す。身体全体のバランスという広い角度から自分の身体を見れない限り、
死ぬまで右膝は痛み続ける。
地球や善悪などの大きな事から自分の長所・短所や右膝が痛いという小さな事
まで、色々な部分でそれらはつながり、そして同じ場所にあり、同じ時間を過ごし
ている。人だけでなく地球にだって、どんな物にだって悩みやストレスはある。
そう考えると狭い世間体や地位・名誉・学歴などを気にする事
[狭い価値観で物を見る事]も少なくなり、大抵の悩みやストレスも楽に受け
入れる事ができるようになるし、相手の立場になって色々な事を一緒に考えてあげる
心の余裕もできると思う。
「こんな変な事を考えても、時間の無駄だろう。」と、言う人がいるが、自分は
そうは思わない。自分が思うに人生を例えると、生まれてから死ぬまで道を歩いて
いるようなものだと思う。人生には色々な道がある。高速道路・砂利道・歩道・穴の
あいた道・途中で切れてる道など・・・。そしてその道を行く人も様々で自転車に
乗っている人・歩いてる人・走っている人・車に乗っている人など・・・。たぶん、
大部分の日本人は道端の草花に目もくれず、自分が道を歩いている間はずっと晴れてる
と思い込んでしまうぐらいきれいな青空ばかり見ながら、のんびり歩いているのだと思う。
道を歩いていると色々な事がある。例えば100円が落ちているとか、あいている
穴に落ちて怪我をする、又は大雨が降ってきてずぶ濡れになるなど・・・。100円を
拾う事はまぁラッキーな事だが、怪我などはしたくない。小さな怪我
[苦労]なら経験の為、多少は仕方ないが、大きな怪我
[エイズ又はストレスによる自殺など]はしたくないものだ。では大きな怪我を
しないようにするにはどうしたらよいか。それは道全体をよく見る事
[広く色々な角度から物事を見る]だと思う。道をある程度把握できれば、穴を
落ちる前に見つける事ができるし、つまずく前に石コロもよける事ができる。又、道端
に咲いた小さな花も見つける事ができる。
自分自身の道を振り返ると、まぁたいした道でもないし、まだ少ししか歩いてない
から大きな事も言えないが、山の緩やかなクネクネ道を登り続けているような気がする。
途中雨が降ったり[成長の為の苦労]、大きな穴に落ちそう
になったりしたが[イジメ、コンプレックス、狭い人間関係など]、
晴れた日には道端の草花に目を向ける事ができたし[家族や平凡で
ある事への感謝]、その草花のニオイも嗅ぐ事ができた
[人としての内面の成長]。四季の変化を身体全体で感じながら、ゆっくりゆっくり
登ってこれたと思う。
これから先はどうなるか分からない。車にひかれるかもしれないし、蜂に刺されて
死ぬかもしれない。でも自分はそれでいいと思う。人生はうまくいかなくて当たり前だ
と思うし、色々な経験が自分を成長させてくれたから。それに蜂に刺されて初めて知る
事もたくさん有ると思うから。
色々な人達の人生を覗き見すればする程、自分の人生が平凡で良かったとつくづく思い、
自分の人生そしてこの道を選んでくれた親に感謝したい。先の事はどうなるか分からないが、
今日も1日何事もなく過ごせたという感謝の気持ちを持ちながら、そしておおいに道草しながら
[色々な刺激を受けながら]、自分の道を歩んでいきたいと思う。
2000年 5月